栄介はそう気づくと、自分の幸運に自分で水をさしたような気分になり、思わず首をすくめた。
だが、こんなことでもなければ、どうして一千万円などという大金をつかめようか。まして三十歳にもならぬ若さで……。
とにかく、一番奥まった、一番ひまそうな係りにでもそっと聞くしか手がないようだった。
それにしても、説明文を読むと、すぐ払ってはくれないらしい。高額の賞金の支払いには何日かかかるようである。
何日くらい待たされるのか。支払うという通知はどうやってくれるのか。電話などないから、端書で寄越すのだろうか。留守《るす》の時そんな端書が舞いこんで、もしあのおしゃべりな管理人にでも読まれたら、それこそえらい騒ぎになるだろう。
会社へ電話をしてくれるのも、うまく社にいる時ならいいが、セールスマンだからたいてい夕方までは外出している。
栄介は溜《た》め息《いき》をついてカレンダーを見あげた。もう五日の日曜で、明日から出社であった。
栄介は急に思いついて裁縫をはじめた。
押入れから、母親の遺品である鎌倉彫《かまくらぼり》の古びた裁縫箱をとりだし、襟《えり》や袖口《そでぐち》がすり切れて着られなくなったワイシャツをハサミで切って、細長い帯のようなものをたどたどしい手つきで縫いあげた。
栄介はその帯の中央の袋になった部分へ、例の当たりくじが入った白い二重封筒をしまい、立ちあがってシャツをたくしあげると、腹帯のようにそれをじかにまきつけた。両端につけた細紐《ほそひも》でしっかりとしばりつける。
明日からそうやって通勤する気なのだった。
翌朝十時きっかりに、栄介は新宿《しんじゆく》の小滝橋通《おたきばしどお》りにある不動産会社へ着いた。
「おめでとうございます」
先に来てデスクに坐《すわ》っていた課長の野崎《のざき》に声をかけた。
「おめでとう。どうだった、正月は」
野崎はいかにも新年らしく、髪も顔も小ざっぱりとさせ、ダーク・スーツの胸もとに白いネクタイをのぞかせていた。
「寝正月ですよ、今年も」
栄介はそう言い、思わずニヤリとした。
野崎は嫌な男であった。小さな会社によくいる、細かな芸ばかりをする社員の典型である。部下のはじめた商談がまとまりかけると、恩きせがましく乗りだして来て手柄をさらってしまう。
そのくせ、部下にはいつも部長や社長に対する不満をならべたて、部下の不満と同調し、それをあおりたてることで人気を得ようとする。
だが、そんな小細工はすぐどこからか破れるもので、栄介たち平社員は、ときどき部長から直接、野崎が部下たちを悪《あ》しざまに言っているという話を聞かされている。
俺《おれ》はこいつより金持だぞ……。
心の中で栄介はそう思いながら野崎をみつめていた。
かなりいい気分であった。
「お早う」
セールスマン仲間では一番親しくしている山岡《やまおか》が、となりのデスクに坐りながら言った。
「やあ」
栄介がそう答えてハイライトの袋をとりだすと、山岡は白いケントの箱を栄介のデスクの上へほうりだした。
「もらいもんさ。あげるよ」
まだ封を切っていない箱であった。
「有難う」
山岡と組んで何か別な仕事をはじめられないものかと考えだしたとき、部長が現われた。
栄介はちょっと妙な気分に陥った。部長に少しも威厳を感じないのだ。
「これも一千万円のせいかな」
低くつぶやくと、山岡が怪訝《けげん》な表情で栄介をみつめていた。